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報道について考える(その2)

「報道について考える」の続きになります。
はじめに断っておきますが、これはネガティブキャンペーンでも、報道否定でもありません。
結果としてそのように捉えられてしまうかもしれませんが、
なぜ、現在の成績のチームの指揮官についての評価、報道が一切と言っていいほど無いのか?についての疑問について書いているだけですので誤解なきよう。

平日は県外にいるため、今、県内ではどのように報じられているのかわからないこともあり、

「なぜ今もってマスコミは現体制を肯定する記事はないにしろ批判する記事が皆無なのか腑に落ちない今日この頃です。」

の状態は続いています。

以下、エスパルスとは直接関係のある内容ではありませんので、おもしろみはないかと思います。
(こういう時なのに何をごちゃごちゃ言っているんだ、一心不乱に応援しよう!という方々には申し訳なく思います。)


さて「報道」と聞いて、ふと思い浮かんだ本があります。

本多勝一「事実とは何か」(朝日文庫1984年)

元朝日新聞記者の本多勝一氏の本はルポルタージュが多く、反体制すなわち左寄りや、登山などの内容のものが多いのですが、反体制側でなくとも興味深く読める内容のものです。
とはいえ本をそれほど読まない私はこの「事実とは何か」は読んだことがなかったのでこの機会に購入しようと珍しく本屋に向かったのでした。
なぜ本多勝一を知っていたのかは学生時代に寮すなわち左寄りの学生が比較的多い環境にいて、その寮生が好んで本多氏の本を読んでいたからです。
(余談ですが、私は共産でも反体制派でもなくノンポリですのであしからず。)

しかし、残念ながらお目当ての本は絶版でした。本多さんの本自体既に殆どが絶版となっており、隔世の感があります。

受け売りを書く作戦が早くも頓挫し困ってしまいましたが、せっかく本屋に来たのだからと店内を徘徊していると、この本が目に入りました。
意図的にこの本を買いに行ったわけではなく、たまたまです。

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新聞と日本人
 -なぜ、真実を伝えないのか 井沢元彦
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Book

井沢氏は元TBSの記者。TBSはJNN系列なのでSBS静岡新聞と同列です。

この本は6月10日に出版されたばかりでした。
そこで今回はこの本の内容の抜粋作戦にします。

「前振りが相変わらず長い!」byパペパル

断っておきますが、私は地元紙である静岡新聞をターゲットにこれを取り上げたわけではありません。私は静岡新聞については、東京や神奈川に通勤している頃は毎朝三島駅で購入しているほどの愛読者でしたし、単身赴任の今でも帰宅の際には購入しています。

この本は朝日新聞の不詳事件をもとに、主に朝日新聞をターゲットにかかれていますが、朝日に限ったことではない内容の部分もかなりあると思い取り上げてみました。
もしかすると今回のエスパルスの最下位を巡る報道も納得できるかもしれません。

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まえがき

「報道の使命とは、いったい何だろうか?
改めて言うまでもなく、国民主権の民主主義国家において、その「主人」である国民が的確に状況判断できるように、情報をできるだけ公平な視点で提供することだろう。

ところが残念ながら日本においては、この点で本来ならば国民の耳目となるべき新聞がそうなってはいない。
(後略)」

以下、本文より“なるほど”と思った部分を抜粋しました。

①新聞社が絶対にやってはいけないことは、間違った情報を流して社会に害毒を与えることです。
新聞社も人間の集団ですから、犯すつもりはなくても過ちを犯してしまうことはあります。そして、そういうときには、人間でも組織でも誠実に謝罪するという対処法があります。

②ジャーナリストあるいは報道機関にとって最も守るべき原則の一つに「取材対象に予断と偏見を抱いてはならない」というものがあります。

③「日比谷公会堂焼き打ち事件」での報道について
 新聞はなぜ、真実を報じなかったのでしょう。(略)
 それはとりもなおさずそのことを「国民が望んだから」だということです。つまり、新聞は、国民の熱狂に迎合したということです。もっとわかりやすく言えば、そういう記事を書いたほうが、「新聞が売れるから」です。

④人間というのは、誰しも苦言は聞きたがらないものです。そんなただでさえ聞きたくないものを、ましてや金を払ってまで買う人はほとんどいません。これが、どこの国においても良心的なジャーナリズムがなかなか成立しない理由です。

⑤自分たちが正しいと信じている組織が悪いことをしているという情報に接すると、そんな情報は「聞きたくない」「そんなことがあるわけない」という思いから、耳を塞いでしまいます。
 こうして、情報の取捨選択が行われてしまいます。
 自分たちが信じるものにふさわしい、いい情報だけを流し、都合の悪い情報、信じたくない情報は公表することなく闇に葬られる。
 しかし、情報の中には、耳障りで聞きたくない情報だけど、世に出さなければならないものというものもあります。
 そういうときはどうなるかというと、「言い換え」や「書き換え」、あるいは余分なコメントをつけることになります。

⑥新聞の作り手が反省すべきは、目的が正しければ情報を操作してもかまわないという鼻持ちならないエリート主義です。

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以上、簡単ではありますが、主観的に「なるほど」と思った部分の本書からの抜粋でした。

ジャーナリズムを否定するのもではありませんので、その点で気分を害されたならばお詫び致します。

一冊の本の内容だけで全てを判断するのは早計だとは思っています。


ps.この本を読むとこのブログ自体、似たようなことはしているわけで。ただ、朝日新聞とこのブログを比べること自体暴論ですが。

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コメント

さかたさん、いつもありがとうございます。
ブログの内容と直接関係ないことで申しわけございません。
本多勝一さんのご著書『事実とは何か』ですが、三島市立図書館の書庫にある『本多勝一集18』の中に収録されているようです。もしもご利用の際は、HPなどで事前に蔵書検索なさることをオススメします(ちなみに、地元の富士市立図書館には、朝日文庫の『事実とは何か』がありますが、やはり閉架図書でした)。
絶版のものをどうしても手にしたいときに私が試す手を使ってみました。まことに勝手を、失礼いたしました。

投稿: 富士の麓のオレンジ夫婦 | 2015年6月26日 (金) 10時21分

>オレンジ夫婦さん

 どうもありがとうございます。
 三島の図書館にありましたか。その手があるのを忘れていました。
 今後は図書館を利用してみます。

 今回は中古の本をamazonで格安購入しました。

投稿: さかた | 2015年6月26日 (金) 12時31分

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