消えた時間~幌内炭鉱変電所~
今日は小雨でしたのでおとなしくしていようと思っていたのですが、来週は帰宅するし、その次の週になると積雪もあるかもしれないと、こちらに来てから興味津々の場所に行ってきました。
それが
北炭幌内炭鉱変電所。
北炭は北海道炭鉱汽船株式会社の略で、石炭産業を営んでいた会社で☆のマークで有名です。
そして、幌内炭鉱は日本の近代炭鉱の先駆けと言われている炭鉱です。
私の住んでいるところから車で20分もあれば着きます。
その炭鉱の廃墟にまだ変電所跡を見ることができるということで、その存在を知ってからというもの機会を伺いようやく本日訪れました。日本広しと言えども炭鉱の変電所跡が実在しているのは珍しいと思います。
(写真の立坑は山を一つ隔てているので、廃墟群からは離れています。)
で、はっきり言って誰もいない廃墟に一人で行くのは恐怖との戦いでありました(^^;
シーズンオフでもあり(そもそも炭鉱廃墟巡りにシーズンがあるのか不明ですが)、誰一人会うこともなく、唯一キタキツネと遭遇しただけでした。
まず、幌内の集落を抜け道を進み舗装が終わるといきなりこちらの看板。
しばらくは車で突き進みます。
こちらは変電所に行く途中にある廃墟。
整備途中で何が何だかよくわかりませんでしたが。
わずかに残っていたプレート。
そして目的地に到着しました。
小雨でしたので長靴に履き替え、
これがないと命は保証できません。
熊ベル。
そして突入。
洋風レンガ造りでオシャレな建物だったんでしょうね。
碍子類が散乱していました。
碍子のアップ。
建物を正面から見たところ。
こちらは屋外開閉所側から見たところ。
朽ちた変圧器。
中の油は抜いてあるのでしょうか?
もげかけている碍子連。
どこのメーカーの製品かと見ると高岳(たかおか)製でした。
そしてその横にはスウェーデンのASEAの文字。
おそらく遮断器の操作機構部の銘板。
1973年製。
そしてありました、北炭の☆マーク。
ざっと見た感じでは北炭の社章が残っているのはこの1枚だけだったような。
炭鉱夫の服にはその☆マークが付いていたんですね。
空いたスペースには何があったのでしょうか。
井上電機製作所の遮断器。
といっても井上電機製作所を知らないのですが。
建物の裏側。
そしてこちら側に幌内神社への登り口がありました。
階段は苔むして最近登った形跡はなく、不気味で怖いのでよせばいいのに登りましたが。
境内は朽ちていました。
その境内から変電所を見下ろせました。
変電所の見学を終え、少しウロウロ。
こんなレンガ造りの建物もありました。
そして幌内線の引き込み跡。
線路は朽ちていました。
春になると変電所建物内部の一般公開が平日に週1日あるようです。
その時はさすがに一人だけということはないと思いますので、その模様を紹介したいと思います。
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コメント
こんばんは、北海道懐かしいです。私は昭和63年4月~12月まで岩見沢のお隣の三笠市へ勤務していました。幌内炭鉱の縦坑の滑車が不気味だったこと、幾春別川の流れが速かったこと新入社員だった私には刺激的な地でした(色々な意味で)。
岩見沢?岩見沢といえば「チョッちゃん」でしょう。
投稿: けんパパ | 2015年11月16日 (月) 19時36分
>けんパパさん
三笠に勤務していたんですか。
私も勤務は三笠です。
三笠市の人口は1万人を切ってしまいました。石炭産業の栄枯盛衰の縮図のような街です。
幾春別(いくしゅんべつ)川も毎日見ています。
チョッちゃんのことはすっかり忘れていました(^^;
投稿: さかた | 2015年11月17日 (火) 06時08分