ガンバ大阪戦観戦記(審判評について考える)
真夏の暑さが続いている北海道なのでようやくラベンダーも見頃となりました。
通勤路は連日多くの観光バス、レンタカーが富良野へと向けて走っていますが、私は職場へ走っています。
今年のラベンダーは昨年の台風、そして春先の低温の影響で枯れてしまう株が多く栽培に苦労しているようですが、写真の職場のラベンダーは無事に咲きました。
さて、天皇杯3回戦も終わってしまいましたが、その前に行われたガンバ戦の模様の続きになります。
話しはかなりずれるのですが、私の小学生時代の成績のことをお話しします。
自慢じゃないですが通信簿は5段階評価の「5」は6年間で片手もありませんでした。従いまして100点満点のテストで90点や95点を取ることは殆どなく、95点を取ろうものなら狂喜乱舞状態の大喜びでした。でも悲しいかな、ほんの数回だけだったわけですが。
Jリーグの審判ですが、ジャッジについてはほぼ95%以上の正確さだということを何かで見たのですが、日本では95%の数字は見てくれない、評価してくれないんですよね。
100-95=5%の数字に目を向けるわけです。
つまり、どんなにいいレフェリングをしても、目にする、記憶に残す、評価するのはわずか数パーセント、数プレーのレフェリングなわけです。
それはサポーターはもちろんのことメディアもそうです。
先日のガンバ戦後に某記者さんはレフェリングについて審判批判を誘導する質問をしていますが、なぜにそういう質問をするのかというと万人にウケルから、レフェリングの正当性の評価が記者さんも観客(読者)もできないからだと思います。
極端な話しが
「審判批判しておけば記事になる」
ということです。
そして、批判している割にはルールの勉強が足りないのではないのか、と常々思っています。
特に気になるのが競り合い時のインピード(旧名オブストラクション)に関する解釈です。
ゴールキックなどのボールに対しての競り合い時には倒された選手に対するファールだと解釈する観客がほとんどだと思います。
果たして倒されれば全てファールなのでしょうか?
競り合う気もなく、ただ倒されるのを待っているプレーはインピードではないのでしょうか?
“プレーイングディスタンス”と“インピード”、自分も含めて理解する必要があると痛感しています。
全てとはいいませんが“審判に対するヤジ”は無知を露呈していると思っています。
西村劇場、家本劇場と劇場名をつけるよりも前にすることが見る側に求められていると思います。
ガンバ戦の飯田主審ですが、みなさんの目にはどう映ったでしょうか?
某記者さんはガンバの遠藤選手に対するファールが
「遠藤選手に対してのプレーだったからファールをとった」
と捉えていましたが、果たしてそうだったのでしょうか?
ルールの解釈抜きに印象だけに頼る、こういう見方をする人はかなり多いと思います。
なぜなら、その方がルールを知らなくてもまわりの賛同を得やすいからなのではないでしょうか。そして、その方がどこからも批判をうけることはありませんから。審判から記事に関して批判をうけるようなことはないわけで。
サポーターにおいても審判批判ほど楽なものはないのかと。心で思っていたとしても批判を批判するサポーターはいませんから。時として
審判擁護=サポーターにあらず
という雰囲気もあります。
A「なんで今のがファールなんだよ!いい加減にしろよ飯田!」
B「おい待てよ、今のはインピードだからファールなんだぞ。」
A「えっ、そうか。飯田はちゃんと見ていたんだな。」
B「そうだよ。」
A「悪かった飯田!」
なんていう会話はこれまでどのスタジアムでも聞いたことはないのですが、生きているうちに一度はこういう会話が聞けるスタジアムに行ってみたい、それがささやかな夢です。
(揚げ足を取られる前に言っておきますが、上の会話の固有名詞は飯田さんではなくてもよいわけで、それが上田さんでも高山さんでも扇谷さんでも村上さんでも山本さんでもいいわけです。)
最後に昨日アップされていた記事を紹介します。
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